[福島の大地で 東日本大震災9年](1)
2011年3月11日、東日本大震災による津波が福島第1原子力発電所を襲った。翌12日には1号機建屋が水素爆発を起こし、放射性物質が街や田畑に降り注いだ。「こりゃあもう、福島の百姓は終わりだぞ」。原発から約65キロ離れた福島県須賀川市の自宅で爆発のニュース映像を見ていた農家の樽川久志さん=当時(64)=はうめいた。
「結球野菜の出荷停止」を知らせるファクスが県から届いたのは22日。7500個あったキャベツも、500個のブロッコリーも、全て廃棄処分になった。その2日後、久志さんは自ら命を絶った。
■自慢の畑が放射性物資に
米やキュウリ、ブロッコリー、冬場はキャベツも栽培していた。農薬使用には慎重で、有機栽培による米や野菜の生産に強くこだわった。キュウリは築地市場にも出荷し、キャベツは地域の学校給食に使われた。「私が無農薬で作りました。安心して食べてください」。食農教育で幼稚園や小学校に呼ばれると、そう誇らしそうに語った。
震災前に心配していたのは、福島第1原発よりもむしろ新潟県の東京電力柏崎刈羽原発の方だ。「これが爆発したら、この辺は終わりだぞ。西風に乗って、放射性物質が降ってくんだから」
妻の美津代さん(70)が声を震わせる。「それがねえ、たまたま風向きが悪かったんだ。こっちに飛んできて、米も野菜も全部かぶっちまって、お先真っ暗になっちまったんだ」
■自然の力にはかなわない…
今年2月末、須賀川市を訪ねた。ブロッコリーがずらりと並んだビニールハウスにいたのは、息子の和也さん(44)。父親の農地を受け継ぎ、今も農業を続ける。
原発事故から9年。福島の農産物から放射性物質が検出されることはなくなった。だが、土地の汚染そのものは数十年続く。
「人間なんて、なんぼ立派なこと言ったって、自然の力にはかなわねえんだ」。原発事故後に父親が漏らした言葉が、今も和也さんの頭から離れない。
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March 07, 2020 at 04:00AM
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「福島の百姓は終わりだ」 原発事故の直後に父が自殺 農業を継いだ息子「今でも被害は続いている」 - 沖縄タイムス
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