本当は自民党を出たかった加藤元幹事長
自民党の加藤紘一元幹事長が2000年に当時の森喜朗首相に退陣を迫った「加藤の乱」を加藤氏のそばで経験した。自民党のなかで仕掛けたわけだが、実は加藤さんの気持ちのなかでは、自民党はもうダメだから外に出てやり直そうという気持ちのほうが強かった。それを周囲の我々が、党の外に出てはいけないとひきとめた。
当時、加藤さんは「人数が多いとかえって動きにくいから、あまり人数はいらない。一緒に党を出てくれ」と言い、私は「出て行くならばついていきます」とは言ったが、しかし、同時に自民党に残って変えるべきだとも強く言った。
ただ、加藤さんの政治家人生から考えればあの時、党の外に出ていたほうが輝いたかもしれないと、今は思う。
その後に小泉純一郎元首相が、党の中から「自民党をぶっ壊す」というフレーズを出した。加藤さんのやろうとしていたことを取ってしまった。小泉元首相が言う前に加藤さんが党を出ていたら、「自民党を壊す」旗は加藤さんのほうに行ったかもしれない。
しかし、小泉元首相は加藤さんのことをずっと近くで見ていて、うまいフレーズを作った。それによってある意味で、加藤さんの役目が終わってしまったのだろうと思う。
派閥の役目はもう終わりに
政治家になってから宏池会に属してきたが、最後は派閥ではない有隣会(谷垣グループ)で役目を果たしてきた。谷垣(禎一、元自民党総裁)さんに、「人数を増やして派閥にしましょうか」と相談したことがある。しかし、谷垣さんは「俺はもう派閥は作りたくない」と言った。
派閥同士の争いを経験し、むしろ張本人であったかもしれないが、派閥ではなく党中心の政治に変えたいという思いは強かった。新しい人を無理に増やそうともせず、政策集団でいようということでやってきた。
一方で、清和会(細田派)や志帥会(二階派)、志公会(麻生派)はどんどん派閥を拡大してきた。菅義偉前首相を選んだ時には派閥単位の政治が非常に前面に出た。
そのうえ、近年は党で政策について何を言っても通らないことが多くなった。党の考えと違っても、全部はねつけて、官邸が決めてしまう。官僚も官邸につい…
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