風薫る、まさにそんな日だった。「その人」はあっという間にこの世を去った。常勝ホークスの礎(いしずえ)を築いた元ダイエーホークスの監督であり、球団社長を務めた根本陸夫氏(享年72)である。

1999年(平11)4月30日。福岡ドーム(現ペイペイドーム)に隣接する病院の霊安室に白い布をかぶった根本さんの遺体が横たわっていた。傍らでは隆子夫人が両手を組んでお祈りをささげていた。「仕事ばかりしていたら、あなたもこんなになっちゃうわよ」。こちらに向かってそれだけ言うと隆子夫人はまた祈り続けた。夫人と2人で夕食をとった後、根本さんは胸が苦しみ始めた。病院嫌いな男は、夫人がタクシーを呼んで病院に行きましょうと促すと、素直に従った。「病院に着く寸前だったかしら。ボーンという感じで体が飛び上がって。タクシーの天井に頭をぶつけると、もう意識がなかった」(隆子夫人)。2時間に及ぶ手当てもむなしく根本さんは帰らぬ人となった。

あれから21年の歳月が流れた。東京・神田にあるニコライ堂に今も根本さんは眠っている。毎年、命日と故人の誕生日に合わせてお参りをする隆子夫人だが、今年は埼玉の自宅から足を運ぶことはかなわない。「とにかくこのコロナウイルスの問題が終わらないと、今はじっとしているしかありませんからね」。隆子夫人はそう言って自宅の祭壇に手を合わせた。

広島、西武、ダイエー(ソフトバンク)とプロ球団の監督を務め、フロントマンとしてらつ腕を振るった。中学(旧制)時代からの盟友であった元ヤクルト監督の関根潤三氏も鬼籍に入った。「ネモやんは文句も言わず、ずっと僕のボールを受けてくれてね」。大学時代はブルペンで500球以上を投げ込む関根氏の投球に根本さんはミットを構え続けたという。2人は天国でどんな会話をしているのだろうか。

座右の銘だった「終わりのない旅」とともに、根本さんがよく言った言葉があった。

「今を尽くさずして、未来への到達はない」-。球界も苦しいが、負けるわけにはいかない。【ソフトバンク担当 佐竹英治】