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Tuesday, December 29, 2020

元鹿島のMF野沢拓也が現役引退を発表「自分の心がここで終わりだと…」 - SOCCER KING

鹿島アントラーズなどで活躍した野沢拓也 [写真]=Getty Images

 FC TIAMO枚方(JFL)は、元日本代表MF野沢拓也が現役を引退することを発表した。

 野沢は1981年生まれの39歳。鹿島アントラーズの下部組織出身で、1999年にJリーグデビューを果たした。翌2000年にトップチームへ昇格し、2007年からのJ1リーグ3連覇に大きく貢献。2012年にはヴィッセル神戸への移籍を経験した。翌2013年に鹿島へ復帰した後、2014年夏からはベガルタ仙台でプレー。キャリア通算では、J1で384試合出場70得点を記録している。

 その後、2017年には、オーストラリア2部相当のウーロンゴン・ウルブスに加入。1シーズンの間のプレーを経て国内へ復帰すると、当時関西社会人サッカー1部リーグ所属のFC TIAMO枚方に移籍した。同クラブは今季、クラブ史上初となるJFLへの昇格を決めている。

 野沢は、FC TIAMO枚方の公式サイトで以下のようにコメントしている。

「2020年限りで引退することに決めました。近年は、いつかは訪れる『引退』について考え始めていたようで、全く考えていなかったような…でも、ずっと考えていたような、そんな毎日でした。だから、自分でも何が決め手になったのか、うまく説明できません。体力的なこととか、気持ちの部分で頑張れなくなったとか、そういった理由もどこかピンとこない気がします。でも、自分の心がここで終わりだと言っているので素直にそれを受け入れようと思います」

「ジュニアユース時代からお世話になった鹿島アントラーズ。野沢拓也を育ててくれた、親以上の存在でした。僕はアントラーズのおかげでプロサッカー選手となり、仲間と共に『タイトル』を目指して戦う面白さ、タイトルを手にする喜びを知りました。あの中盤でサッカーができたのは僕の宝物です。自分の中にアントラーズのDNAが流れていることを誇りに思います」

「初めての移籍を経験したヴィッセル神戸。自分の力を発揮できなくて、チームを助けられなくて申し訳なかったという気持ちは今も持っています。僕は神戸の街も、サポーターも、大好きでした」

「3年半、プレーさせてもらったベガルタ仙台。東日本大震災という大きな悲しみから立ち上がろうとする街、人たちに温かく迎え入れてもらい、自分にできることはサッカーしかない、サッカーで力になるしかないと改めて胸に誓って戦った時間でした」

「ウーロンゴン・ウルブス。ブラジル留学をした時以来の『海外』でしたが、Jリーグとはまた違う景色をたくさん見て、感じられて、言葉に変え難い経験をできたことは人生の財産になりました」

「FC TIAMO枚方。僕にとっては初めての社会人チームでしたが、純粋にサッカーを楽しめた2年間でした。仕事をしながらサッカーをする仲間の姿にたくさんの刺激をもらい、自分自身も改めてサッカーの魅力にとりつかれたような感覚にもなりながら中身の濃い時間を過ごすことができました」

「そして、サポーターの皆さん! ともに戦い、喜び、泣いて、時には厳しい言葉をかけてもらってボールを蹴ることができ、幸せでした。いろんなチームで掲げてもらったゲーフラも、チャントも本当に嬉しかった。ありがとう!」

「最後になりましたが、こんなにも長く、大好きなサッカーを続けられたのは、僕のサッカー人生に寄り添い支えてくれた家族や仲間、在籍したクラブでお世話になった皆さん、共に戦った選手、スタッフのおかげです。この場を借りて感謝の気持ちを伝えたいと思います。サッカー、楽しかったです! ありがとうございました」

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