ロシアの家計が保有する預金の通貨別(ルーブル/外貨)内訳を確認しようとしたところ、今年1月を最後にデータの更新が止まっていることに気づいた。相手国・地域別の輸出入も調べてみたいと思ったのだが、これもアップデートされていない。ウクライナ侵攻と同時に、いくつかの経済統計が軍事機密扱いされるようになってしまったのだろうか?
もっとも預金の内訳については、同僚が類似統計を見つけてくれた。どうやらロシアの機密管理も徹底さには欠けるらしい。それはさておき、預金に注目したのは外貨建ての比率がロシアの人々の通貨への信認のバロメーターになるからだ。経験的にはインフレ率が高騰すると外貨預金比率が上昇する。そしてロシアのインフレ率の上昇は往々にしてルーブルの下落と同時進行する。そうした中でロシアの人々は預金を外貨に換えて資産の保全を図るのだ。
現在は若干ややこしい状況にある。インフレ率(CPI)は5月時点で前年比17%程度とかなり高い。しかしルーブルの対ドルレートはウクライナ侵攻直後の3月上旬を底に上昇している。上記の「類似統計」によれば、このやや悩ましい状況下で、人々は外貨預金を減らす選択をしている。ルーブルの増価にベットしているわけだが、その選択は報われるのだろうか。
そこでもう一つ気になっていた貿易に手掛かりを求めてみた。幸い貿易に関しては、相手国・地域サイドの統計からロシアの状況を推察できる。例えばユーロ圏のロシアからの輸入はこのところ急増しており、3~4月の合計では前年比91.7%とほぼ倍増している。一方この間、対ロシア輸出は半減の状況にあり、結果的にユーロ圏の対露貿易赤字(ロシアの黒字)が急増している。ここまで極端ではないが、(ユーロ圏とは政治的立場も経済の在り様も全く異なる)中国の対露貿易も似たような状況にある。中国のロシアからの輸入が急増する一方、輸出は減り、やはりロシアの黒字・中国の赤字が顕著に増加している。
これらが最近のルーブル高の背景にあることは間違いなさそうだ。ロシアの輸出増大を支えてきた資源価格の上昇が今後も続くとは限らないものの、貿易相手国のエネルギーの代替供給先の確保の難しさなどから、ロシアの輸出数量が近い将来に目に見えて減る可能性は高くない。とすればロシアの貿易黒字基調とルーブル高の継続は当面は続くとみていいのかもしれない。外貨建て預金の削減も、短期的には正解ということになりそうだ。
ただし膨張する貿易黒字はロシア経済の「長期的な」収縮の兆候と捉えるべきものでもある。ロシアは激烈な資本流出やルーブルの急落を伴うハイパーインフレなどの「短期的な」危機の回避には成功した。その際、同国の貿易黒字の存在は確かに有効に機能した。しかし黒字の拡大は既述のように輸入の減少の結果でもある。そして対露制裁が続く限り輸入の減少が止まる見込みは立たない。
それによって何が起きるか。レクサスやベンツがラーダ(ロシアのアフトヴァース社製造の自動車)に置き換わるだけならまだいい。欧米を中心とした先進国からロシアに向かうハイテク製品、資本財、中間財の流れは長期的に、不可逆的に細っていく。それは同国の産業基盤の成長と新陳代謝の機会を奪わずにはいないだろう。中国の高度成長を思い返してみればいい。数字上の寄与で言えば、中国の成長をけん引したのは投資であり輸出であった。しかし、先進国からの技術、財、ノウハウの移入がなければ、そしてそれらによって立つ産業基盤の再整備がなければ、そもそも輸出は増えようがなかった。
日本のメディアなどでは、特に欧州におけるエネルギーのロシア依存脱却の難しさから、対露制裁の効力に限界があるといった論調を見かけることが少なくないが、ロシアの資源輸出がどのようなペースで減るのか、減らないのかは、時と共に些末な問題でしかなくなってくるはずだ。それは使いたくても使い道のない外貨の蓄積ペースを変えるにすぎなくなるからだ。制裁のエッセンスは「ロシアの」輸出ではなく、「ロシアへの」輸出を止めることであり、時間が経てば経つほど、その効力は顕わになっていくだろう。
対ウクライナ軍事侵攻がいつ、どのような形で終結を迎えるのか、あるいは迎えないのかは予見できない。しかし、ロシア経済の長期的帰結は既に見えてきている。ただしそれに先立って、使い道のない外貨の蓄積が、流動性バブルをロシアに引き起こす可能性があることも指摘しておこう。
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