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Friday, July 8, 2022

「これで私も終わりかもしれないね」強気だった安倍元首相、何度か吐いていた弱音…評伝 - 読売新聞オンライン

 安倍晋三・元首相は、常に物事を戦略的に考える人だった。

 第1次内閣は、教育基本法の改正など自らの政治理念にこだわり過ぎて、短命に終わった。

 その失敗を教訓に、第2次内閣以降は、硬軟織り交ぜた政権運営に徹した。集団的自衛権の限定的な行使を容認し、安全保障関連法を整備する一方、働き方改革など野党が主張していた政策にも柔軟に取り組んだのは、その象徴と言える。

 労働団体のように経済界に賃上げを迫り、教育無償化を進め、若い世代にも自民党の支持を広げたことが今の強い党の土台にある。

 国会では、野党を挑発するかのような攻撃的な答弁が目立ったが、演説で力強く政策を語る姿は、多くの人を引きつけた。

 「何事も、達成するまでは、不可能に思えるものである」

 安倍氏は2014年の施政方針演説で、南アフリカのネルソン・マンデラ元大統領の言葉を引用し、難題に取り組む考えを強調していた。安倍氏の強い信念と情熱を最も表していたと思う。安倍氏は「リーダーは時運をつかみ、絶対に手放してはいけないんだ」とも常々、口にしていた。

 ただ、憲政史上最長の長期政権は、常に倒閣の危険と隣り合わせだった。消費増税の先送りには財務省が反発し、「安倍おろし」を画策した。集団的自衛権の憲法解釈変更も、後ろ向きだった内閣法制局との綱引きが続いた。

 野党や一部のマスコミには「最悪の内閣だ」と批判されたが、麻生太郎氏や菅義偉氏らと協力し、試練を乗り越えた。気心の知れた首相官邸のチームも安倍氏を支えた。

 「これで私も終わりかもしれないね」

 強気の安倍氏も取材に、何度か弱音を吐いたことがあった。政権を維持していくことがいかに難しいかを感じた。政治担当の記者として、安倍氏の取材に携わることができたことは、この上ない経験だった。

 憲法改正や、北朝鮮による日本人拉致問題の解決が実現しなかったのは心残りだろう。

 享年67歳。がんで亡くなった父・安倍晋太郎元外相と同じ年齢だ。昨年9月、誕生日を迎えた安倍氏は「俺もとうとう、おやじが死んだ年になった。本当、体調に気をつけないとな」と語っていた。こんな理不尽な形で命を奪われるとは、悔しくてならない。(論説副委員長 尾山宏)

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