まもなく「嵐」の活動が終わる
「嵐」のラストライブ「This is 嵐 LIVE 2020.12.31」(生配信)は、一時代を築いたジャニーズ帝国の終わりを告げる弔鐘のようである。
1962年、渡辺プロダクションの系列会社としてジャニーズ事務所は創業された。以来、60年近くの長きにわたって、次々に男性アイドルグループを輩出してきた。
中でも、近藤真彦、田原俊彦、野村義男の「たのきんトリオ」、木村拓哉、中居正広、稲垣吾郎、草彅剛・香取慎吾の「SMAP」、大野智、櫻井翔、二宮和也、相葉雅紀、松本潤の「嵐」は、ジャニー喜多川が生み出した最高傑作である。
アイドルになる子どもを見出すジャニーの鑑識眼は“異能”といわれた。
週刊文春(12/31・1/7日号)で、「嵐」の二宮がジャニーズ入りした1996年6月、中学へ入って間もない彼と一緒にオーディションを受けた元ジャニーズのタレントがこう話している。
「ジャニーさんが見ている前でダンスをしたり、カメラテストをする。あの日は二百人くらいいたと思いますが、正直言ってニノが一番パッとしなかった(笑)。
猫背だし、ポロシャツをズボンに入れてリュックを背負い、いかにも冴えない少年といった風貌。それでもジャニーさんが一番に選んだのがニノ。皆、なんであいつが受かるんだ? って顔してましたが、ジャニーさんの眼力には舌を巻くばかりです」
帝国を築き上げた姉弟の才覚
弟ジャニーの眼と、姉メリーの経営の才の両輪で、ジャニーズ事務所は他に類を見ないほどの帝国を築き上げてきた。
メリーが力を注いだのは、売れっ子タレントを武器に、テレビ局や出版社を支配下に置くことだった。
事務所の意に沿わないテレビ局や出版社には、「うちのタレントは出さない」と脅しあげることで、にらみを利かす。
NHKの紅白歌合戦にジャニーズの誰を出すのかは、NHKに決定権はなく、ジャニーズ側にお伺いを立てなければ決められなかったといわれている。
ジャニーズを退所した者は、テレビには出さずに干すというやり方も徹底していたといわれるが、これは、局側がジャニーズの意向を忖度して使わなかったというのが本当のところだろう。
永遠に続くと思われていた帝国に陰りが見えたのは、SMAPの育ての親といわれ、メンバーが姉のように慕っていた飯島三智マネージャーを、メリー副社長(当時)が追い出した時からである。
発端は、2015年1月29日号の週刊文春に掲載された「ジャニーズ女帝 怒りの独白5時間」で、メリーが発した言葉であった。
からの記事と詳細 ( ジャニー氏の最高傑作「嵐」の終わりで"帝国の崩壊"がいよいよ始まる 固い結束を揺るがした「結婚問題」 - PRESIDENT Online )
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