太宰治の日記形式の短編「正義と微笑」にこんな一節がある。
〈もうスポーツが、いやになった。健全な肉体に健全な精神が宿るという諺があるけれど、あれには、ギリシャの原文では、健全な肉体に健全な精神が宿ったならば! という願望と嘆息の意味が含まれているのだそうだ。〉
連日、北京冬季五輪をテレビで観戦しているが、太宰の心境がよくわかる。
開幕前は、新疆ウイグル自治区での人権侵害などから目をそらす中国の政治ショーになると予想していたが、それだけではなかった。競技でもおかしな出来事が相次いでいる。
ショートトラック男子1000メートルで韓国の2選手が準決勝で不可解なジャッジで失格となり、決勝でも1位のハンガリー選手が反則を取られて中国選手が金メダルを獲得した。
スピードスケート男子500メートルでは、中国選手がトップタイムを出した後、日本勢ら有力選手がフライング判定でスタートをやり直し、結局、中国選手が優勝した。テレビで見ていて、どこがフライングなのかさっぱりわからなかった。中国に金メダルをもたらすためではとの疑念を抱く。
スキージャンプ混合団体では、高梨沙羅選手らがスーツの規定違反で失格になった。いつもの測定方法と異なり、急に厳しくなったのも不審だ。
そしてフィギュアスケート女子のロシアのワリエワ選手のドーピング問題が起きた。そもそもロシアは国家ぐるみのドーピング違反でオリンピックへの参加が認められず、ロシア・オリンピック委員会(ROC)として出場している。いわば執行猶予で、疑惑を持たれるだけで失格とすべきなのに、個人種目への出場を認めるのは甘すぎる。
もうスポーツは性善説ではないのか。開会式での選手、コーチ、審判の宣誓が空々しい。
かつて札幌冬季五輪で、スキー用品メーカーと契約して〝広告塔〟となっていたアルペンのスター選手が大会から追放された。アマチュアリズムに厳格だった時代だが、国際オリンピック委員会(ⅠOC)のそうした姿勢がオリンピックの権威を守ってきた。しかし、「ぼったくり男爵」バッハ会長は大国の顔色をうかがうばかりである。
北京冬季五輪は異形の大会として記憶されるだろう。そしてオリンピックの終わりの始まりになるかもしれない。
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しかま・こういち 昭和26年生まれ。社会部遊軍記者が長く、社会部長、編集長、日本工業新聞社専務などを歴任。特別記者兼論説委員として8年7カ月にわたって夕刊1面コラム「湊町365」(産経ニュースでは「浪速風」)を執筆した。
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